もう少し繋がっていたいな。なんて。



『正体不明の微熱』





「家まで送ってくれてありがとう。帰りの夜道には気をつけてね。」

私がわざとおどけた調子でそういうと、ハリーはブスっとした顔で上目遣い気味に私を睨んできた。
思わずふふっと笑いが零れてしまう。

「…もうお前なんか送ってやらねぇ。」

「ふふっ、冗談だよ、冗談。ごめんね?」

私が顔の前で手を合わせて謝ると、しかめ眉のまま私から視線をぷいっと逸らした。
ハリーってば、子供みたい。

「じゃあ、今日は私がハリーを送っていってあげるっていうのはどうかな。」

「はぁぁ?それじゃあ俺が送った意味がねぇだろ。」

ハリーは呆れた顔でため息をついた。

「ほら、あそこ、曲がり角までならいいでしょ?あそこまでなら、うちまで一直線だし。心配要らないよ。」

本格的に夜が降りてきた道の向こうを指さす。
家々にはさまれた道路の向こうは、すっかり闇に飲まれてしまっている。その闇の中で、電信柱の街灯だけがいくつか、静かに白々と光っていた。

「大丈夫だって。お前はもう家はいれ。」

「私が送っていきたいの。もう少し、ハリーと一緒にいたい。だめ?」

もしかしたらそれでもだめって言われるかもしれないと思って、少し不安げにハリーの顔をのぞき見るようにお願いしてみる。
すると、ハリーは目を見開いて「うっ…」と唸った。

「い、いっしょに、って、おまえ…あぁー!もう、わかった。そのかわりっ!ゆっくり歩いてくぞ、いいな!」

「うん!」

そういって、私たちは再び肩を並べて歩き始めた。
一緒に家まで帰ったときよりも、ゆっくりとした足並み。
私がハリーに合わせているわけでも、ハリーが私に合わせているわけでもなく、お互いに自然とそうなっているような、心地いい歩み。
数歩の沈黙のあと、私はふと今日行った遊園地でのことを思い返して頬をゆるめた。

「今日のニガコクの成果はあまり上がらなかったみたいだね?」

「うっ…悪かったなぁ!お化け屋敷なんかが怖くて!」

「ふふっ。私は西村さんと一緒だったから、今日はあんまり怖くなかったな。」

「あー。あいつ声でけーからなぁ。後ろ歩いてた俺たちにも甲高い叫び声が聞こえてくることあったし。…その分、お前らが出たあと急に静かになったのがめちゃ怖かったけどな…」

「志波くんと何も話さなかったの?手つないだりとか。」

「するかアホっ!気色悪ィ。」

「そうかなぁ…私は西村さんと手を繋いで歩いたけどな。」

「おまえなぁ…そりゃ男と女ではワケが違うだろ…ハァ…大体志波は無口だし、何より俺にニガコクさせようとわざと離れたりしやがって・・・」

はぁっとハリーは大げさにため息をついて肩を落とした。そのあと、

「…おまえとだったらよかったのにな。」

とボソリ呟いた。
瞬間、体がかぁと熱くなる。

「私とだったら、手つなげたもんね?」

それを誤魔化すために、わざと冗談をいう。

「そうそう…って、ちげーよ!べっ、べつにそういうこと言ってんじゃねーっつーの!」

慌てふためくハリーを見て笑いながら、私は、でも、と続けた。

「私も、ハリーと一緒がよかったな。」

「へ…?な、なんでだよ?」

私の顔を横目でちらりと覗きみるように聞いてくる。
そんなハリーに向かって、微笑みながら答えを返す。

「わからない。なんとなく。よく一緒にいるからかな。今だって、ハリーと一緒にいて、なんだか安心する。…なんて。」

えへへ。と、なんだか少し恥ずかしくなって、最後はぐらかすように笑ってしまった。

「おれも…、お前といると…」

「え?なに?」

恥ずかしくなったのをごまかすために必死で、ハリーが何か呟いた言葉を聞き逃してしまった。

「…なんでもねぇ。」

「でも、最近はハリーと全然遊んだりできなかったし。もしかして、私のこと避けてた?」

「なっ!んなわけねぇって!それはライブが近いからで、避けてるとかそういうわけじゃ…っ!」

慌てて弁解にかかっていたハリーは、しかし私の微笑む顔をみて「やられた」という顔をした。

「ふふっ、わかってるよ。ちょっと意地悪しちゃった。バンド練習忙しかったんだよね。ハリーのおかげで、今日はホントに楽しかったよ。押しの強い西村さんに感謝しなきゃ。」

ハリーがいてくれてよかった、というと、ハリーはどこかぎこちなく「お、おう…」といったきり黙ってしまった。

再び沈黙。
それでも、ハリーと私との間には、不思議と気まずさはなく、ゆるやかな時間だけが流れていた。
闇が深まり、曲がり角が認識しずらくなる。永遠にも思える、長い直線。
このままずっと、曲がり角なんて来なければいいのに、なんて思ってしまう。

余所見をしていたせいか、ふとハリーの手が私の左手に触れた。
ドキッとして思わず手を引いてしまった。ハリーも余所見をしていたのだろう。あっと小さく驚きの声をあげたのが聞こえた。
なんだか恥ずかしくて、ハリーの顔がみれなくて、余所見したままおずおずと手を同じ位置にもどす。
すると、また再び手が触れ合う。掠めたハリーの手は、暖かかった。

視界が悪く、そのために意識が視覚の代わりに触覚に敏感になっているみたいだ。
ハリーの微熱が、残り香のように私の手にへばりついて離れない。
その微熱が、名残惜しい。その手に触れたい。…そう思ってしまう。
なに考えてるんだろう、わたし。

気を落ち着けるために、私は小さくため息をついた。

その時。

強い風が、街路樹を怪しげにざわざわっと揺らして通り、塀に立てかけてあった箒が派手に音を立てて倒れた。
私は思わずキャッと声を上げて、手元近くに感じていたハリーの手をぎゅっと掴んでしまった。

「あっ!ご、ごめん。びっくりしちゃって…」

ふいに掴んでしまった手を慌てて離そうとすると、今度はハリーが私の手を強く掴んだ。

「…ハリー?」

「………。」

「……えっと…。」

「…このまま。いいか?」

「…うん。」

強く掴んだ手は安心したように少し緩められ、私は一方的に掴まれている状態だった私の手をハリーの手とつなぎ直す。

「…おまえの手、あったけぇな…」

「ハリーもだよ。なんだか、安心するね?」

「…そうだな。」

先ほどよりは強くない風がとおり、木をさわさわと揺らす。遠くから犬の遠吠えも運んでくる。空では緩やかに流れていた灰色の雲が、月を隠した。
地面に薄っすら落ちていた私たちの影が、月の翳りと同時に闇に飲まれる。

「…お化け屋敷みたいだね?」

そういうと、ハリーが繋いだ手に力を入れた。

「痛い痛い、嘘です、冗談です、許して下さいー!」

「ふっ、調子に乗った罰だ。これでもくらえっ!」

ハリーはニヤリとしてさらに力を加え、私は笑いながらひたすら謝り続ける。
やっぱり、ハリーと一緒にいると安心するなぁ、なんて思いながら。

「…と、あぶねっ。」

ハリーが急に声を上げたかと思うと、繋いでいた手をぐんっと引かれてハリーとの距離が一気に近づいた。

「わっ!」

「あぶねー、お前危うく電信柱にぶつかるとこ…」

手を強く引かれ、私は勢いあまってハリーの胸に頭をぶつけた。さらにこけそうになったせいで、体もハリーに抱きつくような形でぴたりと密着してしまっていた。
その状況に気づいてか、ハリーは固まってしまったかのように動かない。
そういう私もこの状況に頭がついていかず、そのまま動けないでいた。

離れるタイミングを逃してしまって、どうしていいかわからない。
ハリーの鼓動の音が、どくんどくんと私の耳の中で大きく響いて聞こえる、そんな距離。
ハリーの身体にぴたりとくっついた耳たぶから、頬から、首筋から、ハリーの体温を感じる。
それらはどうしようもなく心地よく手放しがたいものなのだけれど、同時に恥ずかしさが…ううん、それだけじゃなくて、胸の中がひどくざわついて…

「は、ハリー?」

おずおずと胸にうずめていた顔を上げると、街頭のまぶしい光が目をくらます。
冷たい夜風が私の頬から熱をさらう。目を細めてみると、逆光気味のハリーの顔が、そんな夜風の中にいてもほんのり赤く染まっているような気がした。
視線を交じり合わす。寸瞬。熱を帯びて、潤んだ瞳。私の肩を受け止めていた手が、ビクっと跳ねた。

「あ…ワリィ!」

ワンテンポ遅れて、ハリーが私を自分の胸から引き剥がした。
私とハリーの間に空間が生まれる。そこに風がわずかに吹きだまる。
途端にハリーと密着して暖かかった部分が、まるで夢だったかと思うほど簡単に、私の体を冷やしていく。

「う、ううん。それより、ありがとう。助かったよ。その代わり私がハリーにぶつかっちゃったけど…大丈夫?」

それでも、身体に残る熱の余韻。私の身体は、しっかりとハリーと触れ合ったことを覚えている。

「お、おう。たいしたこと、ねぇ。」

そういうハリーは目を泳がせながら、更に顔を赤くする。
うわわわ、なんだか私までもっと恥ずかしくなっちゃうよ…

「そ、そう?」

胸にそっと手をあてる。どきどきがおさまらない。
私も私でハリーの方をまともにみることができずに、顔から火がでそうな思いでうつむいていた。
気まずい沈黙が漂う。

ハリーもそう感じてるのか、頭をかいて、私から目を逸らしたまま「それじゃ、いくか。」と歩き始めた。
私がはたと顔を上げると、ハリーは街灯の光の外にでるところだった。
闇の中にハリーが消えてしまいそうで、思わず私はあっと声をあげてハリーを追いかける。

「どうしたんだよ、血相変えて。…ほら。」

明るい街灯の中から暗闇にもどり、ハリーのそばに近づくと確かにハリーは目の前にいて、私に手を差し出していた。

「その…またこけるとアレだしな。」

「それに、ハリーが怖がらないようにね?」

「オマエなぁ…ったく。」

かわいくねーといいながら、それでもハリーは優しく手を握ってくれた。
その手は暖かく、優しく。
その熱に誘発されるように、再び火照る身体。私の身体に残るハリーの余韻を、鮮明に呼び起こす。
この気持ちの正体に、私はまだ気づけていなかった。
そんなある初秋の話。



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